An onliving artistry – OROKUGUSHI・KISO SHIKKI
今も生きる伝統‐お六櫛・木曽漆器
日本を代表する作家・島崎藤村は、代表作『夜明け前』の中で次のように木曽路を描写しています: 「木曽路は全て山の中である」。この言葉とおり、四方を山に囲まれた木曽地域。山の谷間では十分な耕作地が確保できず、日照時間も短いなど農業には適さない環境だったことから、この地の人々は古くから木工細工を生業としてきました。江戸時代になると、江戸と京を結ぶ530kmにも及ぶ中山道が整備され、なかでも、山深い木曽地域の険しい道のりは木曽路の名で親しまれ、11の宿場町が形成されました。宿場町は、御嶽山に詣でる旅人や、往来の商人で賑わい、この地で作られる木工細工は、旅のお土産として評判を呼ぶようになりました。
魔法のようなお六櫛
中山道最大の難所といわれる峠の南に位置する薮原宿。この周辺では10cmほどの幅に100本もの歯が挽かれた小さな櫛、「お六櫛」が作られてきました。300年近くの歴史をもつ「お六櫛」には、名前の由来となる、とある伝説が残されています。頭痛に悩まされていた村娘のお六はある日、御嶽山の神様に願掛けをしたところ、「みねばりという木で作ったすき櫛で、朝夕髪を梳かせば必ずや治る」というお告げを受けました。そこでお六は、みねばりで櫛を作り毎日髪を梳かしたところ、いつの間にか悩みの頭痛は消えてしまったというのです。この伝説が話題を呼んだのか、「お六櫛」は当地を代表するお土産となりました。
人気の旅土産、木曽漆器
艶やかかつ上品なデザインの木曽漆器。400有余年もの長きにわたり受け継がれてきた木曽漆器は驚くほど手に馴染み、使うほどにその味わいを増します。今でも多くの漆塗り職人が軒を重ねる木曽平沢は、江戸時代、中山道随一の漆器生産地として知られていました。木曽谷では、元より檜(ひのき)を使った器が作られていましたが、使いやすくするために漆を塗ったのが、木曽漆器の始まりだとされています。当時の漆器は、金箔で装飾された豪奢で価格も高いものが多かった中、丈夫で実用的な木曽漆器は、庶民のお土産物として人気を誇るように。磨き抜かれた技法によって装飾が施された木曽の漆器は、控えめで調和が取れた美しさを持ちながらも唯一無二の存在感を放ち、長く愛着を持って使うことができるのです。
人山の暮らし:技術と伝統を受け継ぐ
夏は涼しく、冬は極寒という木曽谷の厳しい自然は漆塗りに最適な環境を作り出したほか、そこでは檜やみねばりなど、良質な木材を手に入れることができます。木曽路の木工職人たちは今も自然と向き合いながら、伝統を学び、技術を磨いています。これからも何代にも受け継がれてきたこれらの伝統工芸を慈しみ、伝承する担い手を育んでいかなければなりません。