A coincidence born in Winter – KORI TOFU
凍てつく寒さが生んだ偶然 – 凍り豆腐
「凍り豆腐」とは、豆腐を屋外で凍らせ乾かした豆腐で、「高野(こうや)豆腐」や「 凍み(しみ)豆腐」とも呼ばれています。成分のほぼ半分がタンパク質で、寒乾の地、長野県だからこそ江戸時代から作り続けられているサステナブルフードです。
僧侶の機転から生まれた凍り豆腐
諸説あるものの、凍り豆腐は鎌倉時代の高野山にて、冬の寒さが厳しい日に凍ってしまった豆腐を、僧侶たちが水で戻して食したことがその始まりだと言われています。物流が制限される山奥で、精進料理を食べる僧侶にとって、長期保存できる凍り豆腐は貴重なタンパク源で、様々な料理法が考案されていきました。このように高野山で食されていた豆腐が、徐々に全国に広まっていったとされています。
厳しい冬と隣り合わせの生産
一方、長野県では、戦国時代に一帯を統治していた武田信玄が、戦の際の非常食として、凍り豆腐づくりを始めたと言われています。特に佐久、諏訪、飯田地方は、凍り豆腐の生産地として知られるように。冷凍・乾燥を繰り返して作られる凍り豆腐。長野の冬の冷え込みと山間部の湿度の低さは、この凍り豆腐作りにとって抜群の環境であると言えます。特に寒冷地の農家にとって、安定して生産できる凍り豆腐は、重要な冬の副業として生産が盛んになっていったそうです。
滋味あふれる、優しい健康食
新しい技術や製法の開発により、凍り豆腐産業の工業化が進むとともに、後継者不足もあり、昔ながらの製法で天然の凍り豆腐作りを手掛けるのはごくわずか。しかし、その精神は今も息づいています。昔ながらの凍り豆腐づくりで大事なものは、技術はもとより、長野の厳しい冬と向き合う忍耐と手間なのです。また、豆腐作りの副産物でのある豆乳やおからは、食料や肥料として利用されており、そこには自然の恵みを余すことなくいただく精神が生きています。そんな長野の自然が産んだ凍り豆腐は、大豆の栄養と旨味がぎゅっと詰め込まれています。どんな味付けにも合い、身体に優しい凍り豆腐、自身でも色々なレシピを試したくなってしまうのです。