The Coexistence of Nature and Humanity – “Satoyama”
自然と人とが共生する「里山」
日本の伝統的な農村の暮らしを支えてきた「里山」。里山とは原生的な自然とは違い、手をかけることで再生させ持続していくことができる、人との関わりで成り立つ自然を指します。「人と自然とを繋ぐ存在」ともいえる里山は、植物や動物にとっても恵み豊かな環境であり、生きものたちの賑わい溢れる場所でもあります。薪や炭の材料を採り、肥料にする落ち葉を集める林、流れる小川、田畑、草はら、ため池、屋敷などが調和する里山は、多くの人がイメージする日本の農村風景を作ってきたといえるでしょう。
20世紀半ばから日本の経済が著しく成長し始めると、人々の生活スタイルは大きな変貌を遂げます。里山に手を入れる ことも減っていきいきました。例えば、薪や炭焼きが生活資源の時代、雑木林の循環を促す伐採や枝打ちは重要な作業であり、田や畑を落ち葉や小枝が肥やし湧水は潤しましたが 、このよう に里山と共にあった人々の知恵や技、考え方は徐々に日々の生活からは遠いものになっていきました。時代の変化の中にあっても、高い山々が周りを囲み厳しい寒さと雪の多い冬が変わることなく訪れる長野県において「里山」は身近な存在であり続け、今も自然と日々の暮らしが共に存在していることを感じさせてくれる存在なのです。
長野の厳しい冬を越えた、里山の「春」
山の雪が融けて寒さが緩み始めると、里山にも春の訪れが感じられます。モノトーンだった景色に花の色香が加わり華やかさがほんのり漂うようになると、里山には山菜が次々に芽吹くようになります。人々は厳しい冬をじっと耐えた滋味溢れる山菜を摘み、あえ物や揚げ物にして楽しみます。
「山菜は、全部摘んではいけないよ。来年やその先も、恵みを分けてもらうのだからね」。大人たちは山菜摘みに夢中な子どもへこのように声をかけ、自然の恵みを滅ぼさずに大切にいただく心得として、自然と共に生きてきた先人たちの知恵や教えを伝えて来ました。
「山菜は、全部摘んではいけないよ。来年やその先も、恵みを分けてもらうのだからね」。大人たちは山菜摘みに夢中な子どもへこのように声をかけ、自然の恵みを滅ぼさずに大切にいただく心得として、自然と共に生きてきた先人たちの知恵や教えを伝えて来ました。
「厳寒な冬を乗り越えた足元にある一木一草が、色んなことを語ってくれる。人は、それに耳を傾け、何を語っているかを感じ取ることが大切である」と語るのは、「里山料理」という新ジャンルを築いてきた北沢正和さん。「職人館」というレストランを長野県佐久市の静かな一角で営み、日々里谷の恵みを提供する料理に取り入れる北沢さんは「あるがままの自然と人が作ったものが融合する中で人がより健康でおり、心に潤いを得て生きることができるのが、里山という場所」と言います。
里山から見る、季節の移り変わり
春から夏、秋へと移り変わる季節と共に、里山は地域ごとに個性溢れる表情を見せます。高低差や寒暖差、生い茂る林や豊かな水を利用した長野県の農作物の実りは、さながら百花繚乱の如くです。黄金色に輝く稲の刈り入れを終え、やがて秋も深まると冬を迎える準備が始まります。
早朝には霜が降り、吐く息も白くなる長野県の初冬。本格的な冬を前に行われる漬物づくりは、人が自然と共にあることが感じられる営みの一つです。漬物に使用される野菜や漬け方は地域ごとに特徴があり様々ですが、漬物をつくる過程は、厳しい冬を前に人々が互いに声を掛け、支え合い、心持強く冬を迎えるために行う慣習的な行事ともいえるでしょう。隣近所が皆で野菜を洗い、家族が協力して漬物をつける。この季節は、漬物の出来具合をご近所同士お互いに尋ねることが挨拶代わりになるといったように、漬物を介したコミュニケーションを通じ寒さの厳しい冬に向け、人々の意識は変わっていきます。そして、里山も色鮮やかだった木の葉を落とし、冬を迎える姿に変わると、人々は冬の厳しさを思い起こして身を縮め、やがて訪れる春に向け、何気ない日常をまた繰り返して行くのです。
このように、温かさや厳しさと共にある里山の自然は、いつも人々の傍らで、生き抜くための恵みや気づきを与え続けてくれています。